本日(8/11)はカトリック大名教会に呼んでいただいて、コスタリカの話をさせていただきました。
ずいぶん前にもこちらの大名教会にはお世話になった記憶があります。
もう20年近く前になるでしょうか。
私の話は午後から。
午前中は、子どもたちの平和に関する作文の発表会でした。
私の話は独立して行われたのですが、私も午前の部に寄せていただき、小学生から高校生までの作文を聞かせていただきました。
子どもたちの平和観の変化
聞いていて、印象に残った点がいくつかあります。
第一に、「平和とは矛盾したものではないか」という指摘が出たことです。
わかりやすい例として、「誰かにとっての幸せが、他の誰かにとっての不幸せにつながる」という例です。
また、平和を突きつめていくと、あらゆるものが満足してしまうがために「何も動かない状況」ができあがります。
それを平和というでしょうか?
そこで、あらためて「平和とはなんだろうか」という自問を続けるうち、「自らの平和の基準」と「他人の平和の基準」を突き合わせることが大事だと気がついたといいます。
中学校一年生でここまで思索が到達するとは、かなりのセンスを感じます。
第二に、平和を「守る」と表現した子どもがいなかったことです。
これは、「もはや日本/世界は平和ではない」と実感していることを表しています。
また、平和は「つくる」ものだという意識の表れでもあります。
第三に、家庭や学校、道端などのシーンで、身近な人との平和関係の構築が世界平和に「ゼロ距離」でつながっていると考えている子どもが非常に多かったことです。
これはコスタリカ人の平和観に極めて近いものであり、かつほとんどの日本人の大人が忘れてしまっていることです。
同じことは、「地の塩、世の光」という聖書の言葉でも表すことができると思います。
この言葉も、高校生の作文の中に出てきました。
私の解釈によれば、この2つは対比される別個のものではなく、同一人格の中にあるべきものです。
私はクリスチャンではありませんが、だからこそクリスチャンの大人の方々には、その解釈について今一度考えていただきたいと思わされました。
天国はこういった平和の本質を捉えている子どもたちのためにあると言っていいですね。
ちなみに、私のコスタリカに関するお話は、やはりコスタリカの子どもたちから学んだことが中心でした。
その中身は拙著「平和ってなんだろう」(岩波ジュニア新書)に詳述してありますので、ぜひそちらをご覧ください。
ちなみに、1ヶ月後には日本最大規模を誇る仏教宗派の総本山でお話しさせていただきます。
やはり、子どもたち絡みです。
課題も希望も、宗教・宗派を問わず、同じところにあるということがよくわかります。
(代表理事足立力也)
※8/14追記
こちらに講演の様子がアップされています(YouTube)。
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